日日是遊行

◎日日の暮らしを日記などオート・ライティングする場とすれば、日日がそのまま遊行となる。家なるものにとどまることなく、栖とともに遊行すると見立てればよい。すると幾分身が軽くなり、とどまるために求めることも少なくなる。オート・ライティング(そろそろオート・ライティングをあらわす和語が欲しい。「風筆」あたりか)を気に留めると、日日書くことも変わるだろう。『枕草子』もそのようであったのではないか。『枕草子』にはおよそ「とどまろうとする衒(てら)い」が見られない。

◎SNSやネットニュースなどの書き振りは、「とどまろうとする衒い」に溢れ、どうしても「承認」や「消費」の意図が透けて見えてしまう。昨今の本も同じで、「われを連れ去ろうとする書き振り」にお目に掛かることがついぞなくなった。本の衰弱ぶりはそんなところにあるのだろう。

◎「日日是遊行」は書き振りにこそあらわれる。われも本も風のようであれ。