いま、ことばは

◎いま、ことばはいったいどうなっているのか。AIの浸透につれ、ネットのなかはAIが発することばで溢れるようになった。ことばがことばからただ増殖していく。気がつくと周りはそんな「消息なきことば」で溢れかえっている。どうやら声でも文字でもないプラスチックなことばが漂っている。そろそろ自然は耳を塞ぐだろう。鳥も風も飛び去っていくだろう。

◎プラスチックに遊びはない。いま見えない洪水のさなかにいるのかもしれない。洪水のなかで宙ぶらりんで「統計的」に造り変えられていくもの。そして押し流され消えていくもの。持ち運び可能な洪水はいまどこで起きているのか。もうすでに枯野に佇んでいるだけなのか。風は吹いているのか。

◎雉鳩の啼き声のはじめの音と終わりの音はなぜ同じなのか。そこに意味はあるのか。それを知ることに意味はあるのか。意味ははたしてどこにあるのか。象は統計をとっているのか。統計をとる象に意味はあるのか。

◎これらのことばをAIにプロント替りに与えると、ここにあることばを解説したり、過去の議論と結び合わせ展開し、さらに気に入られようとする。だがそのことばに意味はなく、ただことばとことばを繋ぐために足りないことばをそれにあてようとするのみ。それによってやや暴走気味の頓珍漢な「返答」とする。おそらく都市の骨格もそのようにして僅かなことばから組み立てられてきたのではないか。都市はすでにすべてノイズである。それも生きるために大切なカオス的ノイズではなく、廃棄物としてのノイズ。そこに思わず「人格」を感じてしまうのも、都市に暮らす人が同じようにわれを組み立てているから。そこには里のような瑞々しさはない。ただ枯野がひろごるばかり。

◎アシモフが「ロボット三原則」を掲げたとき、アシモフの目にはロボットがどのように映っていたのか。