三律条々

◎本は茶室のようであれ。
 ◎読書は風のようであれ。
  ◎物語は息のようであれ。

◎誰も此の身から出ることは叶わない。利休は茶室を此の身のうつしとし、其処を出入りした。それが待庵だった。そのなかを此の世そのものが寂びるように過ぎていったものだ。利休には人並みに欲や野望もあったが、それを匿すこともせず、ただそのままに受け入れ佗びた。そして或る時待庵から暇をもらった。

◎本は、此の身を擬いた茶室のように組み立てられ、此の身の内を擬いた茶会のように設られる。情報を携える《メディア》はこのようにしてはじまった。はじめは文身や土器・着物の文様として、貝殻などの飾りとして、竹や紙にことばのうつしを載せて、住居や建物として、此の身をうつし抜いていった。そして此の身の間を行き交う花鳥となった。

◎読書は、そんな本という茶室の茶会に招かれ、其処を吹く風を浴びる。浴びる振りをすることもできようが、ただ此の身を任せ浴びるのがいい。すると此の身のなかへと何かが到来する。それを味わい、此の身に暫し留める。そして蝸牛のように此の身とともにそろり歩いてゆくがいい。

◎やがて此の身の内に、息のように物語が生まれる。それは此の身の内に生じる苔のような物語。この物語をことばで、歌で、舞で、さまざまなる姿をもって此の身で伝え、伝えられてきた。そこに生死混淆の消息がある。